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数有ります相撲錦絵の中から特徴的な物を集めてみました
秀ノ山 雷五郎 土俵入り
9代目横綱・ 出身地:宮城県気仙沼市最知川原 弘化4年9月( 1847年)昇進
『東都両国回向院境内相撲の図』
広重作:本所回向院の相撲太鼓やぐら、隅田川の遠くに富士山が見えます
木曽街道六十九次之内 五十九 関ケ原 放駒蝶吉 濡髪蝶五郎
人形浄瑠璃と歌舞伎の演目
『双蝶々曲輪日記』(ふたつちょうちょうくるわにっき)で登場
回向院図 回向院は現在の東京都墨田区両国2丁目に所在します
明和5年(1768年)9月 当地境内にて最初の勧進相撲がとり行われました。
天保4年(1833年)10月〜明治42年6月に国技館が出来る迄定場所となりました。
常山五良治
山形県酒田市(旧 出羽国飽海郡出身・新入幕天保14年10月
小野川喜三郎
滋賀県大津市京町出身、安永5年大坂相撲から昇進し(安永8年)に江戸相撲に加入、天明2年3月場所 大関・谷風梶之助の63連勝を止めた。谷風梶之助と小野川喜三郎の取組は、相撲史に残る名勝負となる。1789年寛政元年吉田司家から谷風梶之助と共に横綱免許を授与された
谷風梶乃助
宮城県仙台市若林区霞目出身、寛政元年11月(1789年)4代目横綱昇進
小野川喜三郎と名勝負を重ねた
小柳常吉 嘉永5年(1852)大関昇進。嘉永7年ペリーの再来日時横浜で相撲を披露。
ペリーの率いる水兵を投げ捨てる力士
鬼ヶ嶽 才治
安政 2年(1855) 3月 3日、愛媛県土居町出身。 5代時津風に入門して大阪相撲で初土俵、明治16年 8月に入幕。 梅ヶ谷に誘われて18年
6月に弟子となり東京相撲の土俵に立つ。40年 1月に引退するまで41場所幕内に在った。 引退したときは51歳である。二代梅ヶ谷の鬼コーチとして知られ、引退後は部屋経営もした。
鬼面山谷五郎
現・岐阜県出身
徳島藩の抱え力士 明治2年2月 第13代横綱昇進 阿波四天王・幕末の四強
雷電 花頂山 立会図 ( 雷電 為右衛門)現・長野県東御市出身
江戸相撲で小野川喜三郎と熱戦を繰り広げ、
大阪、江戸、京都で抜群の強さを見せた。
(花頂山)山形県鶴岡市出身 雷電に2度勝利した唯一の力士。
明石志賀乃助 他 横綱衆
初代横綱・ 明石志賀之助 、4代横綱・谷風 梶之助、5代横綱・小野川 喜三郎 6代横綱・阿武松 緑之助、7代横綱・稲妻 雷五郎、 8代・横綱不知火 諾右衛門、9代横綱・秀ノ山 雷五郎
陣幕久五郎
慶応3年10月 12代横綱昇進、島根県八束郡東出雲町出身
め組の喧嘩
め組の喧嘩とは
文化二年二月(1805年3月)に起きた町火消し「め組」の鳶職と
江戸相撲の力士たちの乱闘事件です
大童山文五郎
大童山文五郎は寛政7年・1795年に7歳で番付けに付け出された
土俵入り専門用で人並み以上に体の大きい少年力士
の事で江戸時代に彼らに幕内の資格を与え土俵入りだけを披露させていました
顔触れ言上
立て行司によります翌日の取り組みの披露、現在も行われています。
不知火 鬼面山 取り組み
靖国神社奉納相撲 横綱土俵入り 小錦八十吉
東ノ方土俵入之図
雲竜 久吉
福岡県柳川市大和町出身、文久元年9月(1861年)10代目横綱昇進
横綱土俵入りの型は雲龍型と不知火型が存在し、それぞれ雲龍久吉と不知火光右衛門が行っていた土俵入りの型を起源として伝えられています、 綱の締め方やせり上がりの型に差異が有ります
不知火 光右衛門 熊本県菊池郡大津町出身、文久3年10月(1863年)11代目横綱昇進
雷電 爲右エ門
相撲史上最強の力士とされている。
勝率.962は歴代横綱幕内最高勝率の梅ヶ谷藤太郎(.951)をも凌ぐ。
柏戸 陣幕 取り組み
弓取り之図
弓取り式は昔は千秋楽の結びの一番に勝った力士に弓を授けるもので
織田信長が元亀3年・1572年の春に近江の常楽寺で開いた相撲大会で
弓を与えたのが始まりと言われています
今では鍛錬した力士が毎日代行として行っています
昭和20年代の大岩山の弓取りは弓の回転の速度が速く
誰もが魅了され取り組み終了後の相撲見物の楽しみでした
河津三郎祐親と股野五郎景久
安元2年(1167年)十月八日伊豆奥野にて河津三郎祐泰は、
相模の股野五郎景久と相撲を取り勝利した。
此の時の手法が河津掛けとして相撲決まり手に名が残る。
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