文禄5年(1596年)関西の職業相撲の団体約10名が九州・筑後に巡業した。
江戸時代に入ると 京都、江戸、大阪に於いて興行としての勧進相撲が盛んに行われる様になりました。当時、各地に相撲を生業(なりわい)とする いわゆる職業的な力士集団が生まれており、勧進相撲に参加した。寄進をしない勧進相撲興行が解禁されたのは
元禄15年:1702年 大阪 堀江の阿弥陀池 和光寺境内での興行が正式に公許されこれが職業的興行相撲の最初となる。
ちなみに この勧進相撲がその後 形を変え大きく発展し現代の大相撲の礎となったと言えるでしょう。
勧進大相撲之図
大正14年7月 それまで何かと張り合っていた東京・大阪両大角力協会は解散して大日本相撲協会を結成する為の調印がなされた。
東京側が大阪側に双方一緒に摂政宮賜杯を争奪する事を大義とすると持ちかけた為 大阪方の面目が保たれ交渉が順調に進んだ。
12月28日 東京大角力協会より申請されていた財団法人大日本相撲協会が文部大臣より認可されました。
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